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2011年4月2日土曜日

孫正義 vs. 池田信夫 on Twitter

福島第一原子力発電所の事故に関わる問題や原発廃止論における孫正義さんと池田信夫さんの平行線とも言えるやりとりが続いています。

論理的に思考するなら議論の余地がないほどこの論争では池田信夫さんが理屈では正しい。

さりとてツイートもいてしまったのですが、理屈だけではひとは動かない。

孫正義さんは坂本龍馬に思い入れが深いことは誰もが知るところ。
ところで、おなじ時代立場をことにし、NHK大河ドラマでは悪役的に描かれている西郷隆盛という人物は明治に入りある意味必要もないはずなのに自分とは違う身分が大勢を占める武士の側にたって西南戦争を起こし、田原坂に散って行かれた。理屈で考えれば明治維新以降の行動は非論理的な部分が多いと思われるけれど、人の気持を優先して考えるとわからなくもない。
誰もが大久保利光のようであれば、もっと殺伐としてより深い第二の内戦状態に突入していたかもしれない。

そういう意味で、孫正義というひとが西郷隆盛のように見え、ちょっと小さいけれど池田信夫というひとが大久保利光のようにみえなくもない。


ツイートもしましたが、たとえばトイレで食事ができるでしょうか。
33秒ルールというのがありイギリスの大学での実験でも3秒ルールの正しさが確認されているのですが、食品は落としてもすぐに拾えば食べても健康に害はないというもの。
トイレに例えばおにぎりやアンパンを持ち込んで便座に座って食べられるだろうか。
足元に落としたものを拾ってそのまま食べ続けられるだろうか。

飢えていれば、一回や二回ならあるいはできるのかもしれない。
※今やれと言われても、わたくしにはできませんが。

しかし、毎日三食それを繰り返せるだろうか。

放射線を出す水を飲んだりほうれん草を食べたり基準値をわずかに超える放射線を出す牛肉を食べたり、あるいは基準値を大幅に超える原乳から作ったバターは98%ちかく乳清に放射能(放射性物質)は集まるから、基準値を下回るんだと知っていても、あえてそれを毎朝たべるトーストに塗って美味しく食べ続けることができるだろうか。

池田信夫さんや堀江貴文さんの言うことは正しいし、かなり間違っているが猪瀬直樹さんのいうことにも一理あるけれど、人間は理性の動物であると同時に感情・感性の動物でもあり、やはり一瞬は受け入れられても食べ続けたり飲み続けることはむずかしい。
難しい以前に生理的に受け入れられないことを強要するのはおかしい。

スペースが惜しいからトイレの便座で食事を済ませろというのは、ある意味正しく経済的で掃除も楽だしトイレを綺麗に使うようになるだろうけれど、すくなくともわたくしは嫌だ。トイレで食事することがどれほど危険かというと、ほとんど健康上の危険など日本ではあるはずがないのだけれど無理がある。トイレで食事をするのさえ無理なのに汚染されたものを基準値以内だからOKというのはやはりどこか人としてズレている。

誰もトイレの便座で食事しろと入っていないけれど分かりやすく論理を展開すればそういう事というだけの話。

こういう方向のことは書きたくないけれど、マスコミのあまりにバイアスがかかった最近の安全ばかり強調する報道姿勢や、プルトニウムにばかり目を向けさせるミスリード、海洋汚染が日増しに深刻さを増す中、海は広いから拡散すると湾だから違うと反論するのは分かりきっているけれど水俣湾で恐ろしいほどの人命と人生を犠牲にした経験を踏みにじる発言をやすやす続ける保安院とそれを許すマスコミの姿勢に、さすがにあきれはててしまいました。

理性に基づく説明は、もはやこうした許容範囲を超えた偽りを助長するだけのようで、少しあり方を変えねばと感じています。
海洋汚染はもっと早く見つけられたはずだし、原因は犯罪の捜索の時のように海岸から順に原子炉建屋の反対側まで、サンプルとって分析すればほぼ把握できたはずです。雨漏りならば発見はとても困難ですが、今回の水漏れは放射能もダダ漏れしていて少しくらいの遮蔽物があっても容易に見つけられるのですから。東電の社員の人手が足りなくたって日本には公務員は何十万にもいるし海外からの援助の声も多数あります。数千円のガイガーカウンターであっても、海岸から順に地面に沿って計測していけば、放射能の漏洩経路は漏洩の初期段階で発見でき海洋汚染まで至らなずにすんだかもしれません。

うプルトニウムとウランが混じっていれば比重がとても重いので地上で飛散して外が広がらない代わりに海中でも海底に沈み近海を強烈に汚染し続けてしまうでしょう。海の中だけ事情が変わったりはしません。地上では風が不安ではなく、海中では水で拡散するという相矛盾したことを主張し続けたり理屈の部分で破綻してきてしまった取り繕いが目立ちすぎ、防げる致命的な汚染をあえて放置しえしまいそうな今を、ただ悲しんで終わりにするより駄文でもいいから書いてみようという気にさせます。突込みどころはいくらでもあると思いますが、現状を今という視点ではなく10年後、20年後、30年後に置き換えて過去を振り返る視点で見てください。

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