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知っておきたい助成金・給付金

2011年4月4日月曜日

日本特有な「自粛」の美名に隠れた責任回避

花見が自粛され祭りが自粛される。
そんな自粛をするくらいなら、まずは給料自粛してください。
そうわめいてみたい気持ちでいっぱいです。

経済云々も大切ですが、もっと問題なのは日本流の責任逃れです。
すべてを勘案してやるべき事を断固やる。
是非は別にして孫正義さんの言動はトップとしてやはり見習うべきでしょう。

対して花見を自粛しますというとき、そこにあるのは「わたくしが非難されるのを回避したい」という自分可愛さがまず一番なのが見え見えであること。本当に被災者を考えやるべきではないというなら、毎年世界中で重大で悲しい事件・事故は起きていてそんなものは金輪際やってはいけないものなのではないでしょうか。別に世界に目を向けなくとも、今目の前で最愛の人を失おうとしているひとは常時日本にもいます。不謹慎で不適切だと言わなければならないものなど、どんなときでも行うこと自体おかしい。

経済的な影響は偽政者なら管轄の大小にかかわらず考えるべきもの。自分たちは残念ですといえばそれですみ、給料が減るわけでも何の痛みがあるわけではないけれど、それで楽しみを奪われる人の痛みや、そこに生活をかけている人の経済的な痛みに同責任をとっているのだろう。例えば都知事は自粛を求め台東区は上野の花見を禁止するならその責任者や務める人たちは、年収をすべて影響受ける人たちに差し出して、これ以上自分たちも痛みは引き受けられませんが耐えてくださいと言うべきでしょう。

口先での自粛云々という保身だけの行為は厳罰に処されてしかるべきものではないのでしょうか。
他人に自粛を求めるひとも同じなのではと思います。

わたくしはというと、酒飲みで3・11の直前、3月10日にもブロガーイベントのロンサカパ試飲会に行き、かなりの量ストレートで味わって帰りましたが、それっきりアルコールに手を伸ばせずにいます。放射能の影響を30%以上も減らすというのでビールは買ってみましたが、やはり飲めませんでした。
自粛って押し付けたり、無理にやめるものではなくて自然にできない程度のものではないのでしょうか。

もしも強制力持って求めるなら、最低でもその人はそれ以上の痛みを先に自分が受け止めるべきでしょう。祭りをやめろといえば一部の人はそれで生計立たなくなる。年に一回、その時がかきいれどきという商売だってある、そのために一年仕込んできたものを、棒に振らせて、ただ当たり前と言ってはばからないのは傲慢通り越して残酷に過ぎます。

さて、酒のほうですが、ツイートしたら飲むべきと言っていただいたんですが、ひとり分くらい消費が減っても影響ないので美味しく飲めるか、涙ながして塩味で飲むかわかりませんが、飲みたいと気持ちも変わるまでは無理しないで飲まないままでいようかと思います。
大好きなケーキもやめていたんですが、とうとう先日差し入れに持ってきていただいたペコちゃん焼きを食べてしまいました。お菓子を捨てるなんてもったいないことできませんし、ペコちゃん焼きのレアアイテム、ポコちゃんまで入っていて大好きなあんこじゃなくて桜あんでしたが美味しくいただきました。
本物のケーキは、これまた奇跡ですが3週間以上食べていません。
これもひとにおすすめする気もなくてむしろ売っているなら買ってあげて欲しいけど、自分的には差し入れのおみやげもそう言うのは避けてくれるとうれしいかな。せっかくのケーキをきちんと楽しんで食べてあげられないのはケーキがかわいそうだから。


自粛とは、自分が感じ取って共感してするものです。
人に求めたりするのは、どこかずれているか、勘違いしているのかもしれない。
自粛しろという間があったら被災地に募金するか募金するためにアルバイトしたほうがずっと被災者のお役にたちます。

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