ゼロを何倍してもゼロ。
0 × 1,000,000,000,000 = 0
限り無くゼロに近いものを何倍してもやはり限りなくゼロに近い。
でも、ゼロでなければ1万倍、100万倍としていくと意味のある数字になってきます。
でもこの時の倍数に意味があるのかは疑問。
元の数字が限り無くゼロに近いと、2~3倍違っても意味が無いし一桁違ってもほとんどかわらない。
元になる数字が限り無くゼロに近い時、だから何倍という表現は数字のマジックで何かを考えるときの基準にしてはいけない。いたずらに感覚を惑わす効果しかない。
さて、非日常化してしまっていますが日常に戻りますと、放射能なんてあってはいけないもの。
その基準は基本ゼロに限り無く近い。
ときどきかわるのは、技術の進化でそれまでゼロだった小さな量が検出できるようになり、基準をより限り無くゼロに近い方へと変えていっているから。
放射能の発表や報道で標準値や基準値の何倍というのは、感覚を惑わすばかりであまりよくない。
まして単位をマイクロ、ミリと3桁も違うものを同時にまぜこぜで扱うものだから、ますます訳が分かりにくくなる。冷静な判断力を奪い、感覚を麻痺させるのが目的なら何万倍とか何十万倍と報道するのも意味がありますが、そういう目的でないなら淡々と数値だけ表示するべき。
基準値も冷静に落ち着いて時間を作り別の機会に説明しないと全く訳が分からなくなります。
例えば水道水の放射能基準のベクレル。
世界基準の10分の1ですとここでも、分かりにくくしている。
検索してみると、そんなに高い基準なんて存在しない。
やっと見つけて納得がいったのは事故など危険な状態での緊急時の基準
その緊急時の基準の10分の1にしましたということでした。
学者の方々がやみのもんたさんまでが一生飲み続けてもという表現を使いますが、事故が起きた緊急時の基準であって一生飲める基準ではありませんでした。そちらなら1ベクレルとか0.5ベクレルとか計測できる限界を設定しています。つまり限り無くゼロじゃなければいけなくて、1商売してもそれはゼロでないといけないんだという一部の過激な発言も意外にも的を射ている。
なぜなら1ベクレルとは一個の放射線が出る分裂をいいます。つまりそれ以下は本来は存在しない。0.6個分裂なんてできない原子一個のことをいっているから。
一個でも検出されてはいけないのだから逆に言えばゼロじゃなければいけないということ。
だから基準をどう緩めて一兆倍してももとがゼロなら本来はゼロ。
それでは飲み水がなくなってしまうので原子力関連事故などが起きた場合の一時的な基準が別途定められそれが、今日本の安全院という皮肉な名前の組織が暫定値に選定した飲料水の基準のもと。飲み続けて良い基準とは全く別物なのに、まるでそのような扱いを続けているのには呆れてしまいます。
つまり短期間ならいいけれど数ヶ月とか数年という中期の摂取について安全というものではない基準。冷静に、妙に安全の安売りをせず、かつ、週刊誌のように脅かすだけでもなく、正しい情報をわかり易く伝えて欲しい。
海の汚染も含めて、あえて歪めた情報が増えているのがとても気になる今日この頃です。水素爆発当初までは、わりに事実をストレートにつたえていたのに、落ち着きを徐々に取り戻すとともに誤認しやすい形へと情報が変質してきているように感じます。
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