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2011年4月17日日曜日

原発と飛行機は安全性という視点で比較できるものなのか

池田信夫さんのツイートでの議論が、原発と自動車の比較から原発と飛行機へと変化してきました。
「飛行機だってエンジンが止まれば終わり」
安全性と利便性より経済性で語る。

ある意味正しいのかもしれませんが影響範囲が違うのでどうなんでしょうね。
飛行機が墜落しても今のところ最悪が9.11。
巨大ビル2棟を完膚なきまでに倒壊させるとはまさに想定外の影響でしたが、目標がスリーマイルなど原発やICBM格納庫のほうが甚大さや与えるショックの大きさは上回ったかもしれません。

エンジンが停まっても翼と尾翼がありコントロールはある程度可能。
ある程度でしかないのは、まさに経済性の問題でエンジン無しで安全に着里が十分可能なほどにつくるのはイニシャルコストでもランニングコストでもあわないという経済原則なんでしょう。
飛行機の事故率はさほど高くなく、また死亡保障もふしぎなことに低い。
訴訟社会のアメリカでまだまだ安全策はいくらでも取れる飛行機がこれほど安易な構造のまま飛んでいるのは、実は以前から不思議でしかなたないことでした。

戦闘機でさえ、非常脱出装置があって非常時にはパイロットは座席ごと射出されパラシュートで着陸できます。すでに存在する技術なので、コストだけ無視すれば全座席脱出装置付きにできるかもしれません(コックピットじゃないので天井部分をどのように解放構造にするかが難しすぎますが、あくまで戦闘機でさえ安全策はあるよというおはなしです)。

あるいは飛行機を何着地させるだけのサイズのパラシュートをつけることは不可能ではないでしょう。
速度が問題そうですが音速を越えるジェットエンジンを搭載したスピードカーの停止用にはパラシュートが使われていて音速未満で飛ぶジェット機に利用できない理由はありません。
飛行機の重量が増して積載量が増えるから経済的でない、あるいはそこまで安全性を考えていないだけなのでしょう。

飛行機や列車の安全策は取れる方法がいくらでもありそうなのにやっていないだけ。
列車も自動車に使うエアバックの大きなものを大量に搭載すれば、安全性は増しそうです。
列車の内壁沿いにぐるり搭載し、さらに車内に仕切りを付けエアバックをつければよさそう。
これもコストがかかり載せられる人数が減るだけの問題。
もっと確実にするなら立ち乗り禁止にし全席に4点式シートベルトとエアバッグを取り付ければかなり安全性が高まります。事故の被害・影響を最小にするには連結数を2両以内など小さくすれば重量が減ることで大事故にまで発展しない。

そういう事は多分わかりきっていて、事故が起きれば悲惨なことは承知で今以上の安全策は取らない。

※本当はそんなこと考慮されていないだろうと考えています。
列車が導入された時代にそんな安全策はなく、そのまま速度と積載量の増大といった乗客の要望と周囲の住民からの騒音クレームへの対応しか考えてこなかっただけ。
そういう意味では、池田信夫さんがいうように原発のほうが万一や安全性に付いてはかなり後半に考慮されている唯一の技術なんでしょう。

そして今回完膚なきまでにコントロールを失い安全性以前に経済性を失ってしまった。
賠償金数兆円(数千億円で終わりかも)は別にしても廃炉までの期間と経費は膨大過ぎで経済負担は、おそらく本当には唯一の想定外なものでしょう。
※100年少々前に37メートルを越える津波が日本を襲っていますから、津波は安全係数をつければ100メートルは想定したはずで想定範囲内すぎです。
危険は数字でしか考えないので実測値かける安全係数でしかなく、3倍くらいは見たいところ。
地球での最大の津波は恐竜を絶滅させたといわれる隕石衝突でしょうが、そのときはそれ以上の高さだったかもしれません。


本題に戻り安全性を考える上で原発と飛行機は比較できるか
というと原発のほうがより安全志向で作られている
飛行機など原発と違い現実に墜落などなんども起きているにもかかわらず飛行場は大都市すぐそばに作られています。成田のように経済性無視して遠方に作られることはまずありません。
安全性を考えたら都市部や原発や重要施設や工場密集地には飛行場は作れず、近寄ることもできないでしょう。

それ以前に報道機関が平気でヘリコプターを使い続けていますが、報道機関のヘリコプターに限定しても墜落死亡事故を起こしています。あんな危険なものを平気で使いつつ、原発の危険性を論じるのは片腹痛くも感じます。みな、ある視点でしかものをみず、自分の主張と相容れないことを平然とやっているものです。

さて、それでも原発と飛行機の安全性は比較できるのか。
というと影響を及ぼす範囲を危険視し過ぎるというのがおそらく池田信夫さんの論旨でしょうが、放射能やダイオキシン、炭疽菌などはそんざいしてはいけないし、扱うべきではないものは経済だけで片つけるのは大きく間違っているのではないかな。

炭疽菌でもその他の生物兵器でも扱うのにコストは原発の数桁少なくても済みそう。研究施設の中には持っているものもあっても安全のために公開しない(できない)だろうけど、むしろ危険性としてはそうしたBC兵器の類のほうが原発より深刻かもしれな。
いずれにしても被害規模が予測できない・人類の技術ではコントロール不能になるものは扱ってはいけないのではないだろうか。

きっとそういうと、火でも山火事になれば制御できずカリフォルニアなどでもお騒動になった例などを引き合いに出されるんだろうが、それは違うと言いたいが、経済性の原則だけで語るほうが簡単だという好例ではありますね。山火事なんて防ごうと思えば自発式の消火器を山中に一定間隔でいこめばいい。でもとても経済的にペイしない。だからやらず山火事になると避難して終わり。出来る範囲は消火隊で対応していく。
今の人類は結局その程度で原発のリスクさえもその範疇。

というのは、おそらく本質的にどこか間違っている。
ならば戦争の道具だって人命かけて他国に乗り込まず、戦略核兵器でも投入すればいいのにそんなことしない。やはり経済性だけでは片付かないのが世界のコンセンサスなんじゃないだろうか。

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