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2011年3月10日木曜日

日本が最悪最凶のテロにあった初めの日

66年前の今日、日本が長い歴史の中で初めて最恐最悪のテロリズム被害に遭遇した日です。

911といえば、アメリカ合衆国がドラマや映画の世界ではなくリアルに初めて大きなテロ被害を受けた日です。
巨大なビル二棟に自国の旅客機が自国民を載せたまま激突させられ大勢犠牲者を出しました。
ペンタゴンにまで旅客機が突っ込み被害を拡大しました。
行った人々はこれを聖戦と呼び当然の行為だと主張しました。
アメリカは大群を率いて、指揮したと思われる国を占拠し政権を倒しました。
前者はテロと呼ばれ後者は戦争?と呼ばれます。

66年前は世界中が戦時下にありました。

戦争とは戦闘員同士の戦いを言います。
戦争中でも非戦闘員の居住区を襲撃することはテロ行為でしかなく激しく非難されます。

66年前、当時も日本の首都だった東京には戦闘員はほとんど残っていませんでした。
度重なる空襲で工場設備の多くは破壊されていましたし、それよりはるか前に武器弾薬を作るための資材は底を付き、鍋釜にいたるまで供出して武器を作りそれさえももうできない状況になっていました。
情報戦を主体とする当時の敵国はよくその状況も把握していました。

長引く戦争も終結が見えてきた中、なぜかテロリズムは敢行されました。
まず東京の周囲に爆弾を投下し、中心部分に人を集めました。
狩猟民が行う狩りの典型的な手法です。

獲物が集まると次は焼夷弾と言われる燃焼型兵器が投入されました。
ガソリンを加工し燃焼促進剤に仕上げたもので付着性が強く、投下されると飛散し、モノに付着し強烈に燃え上がり、周囲を火の海に変える焼き殺すことを主体とした緩慢な虐殺兵器です。

非戦闘員、女子供と年寄りしかいないと知っている対象に向け、狩りの手法に則り獲物としてそれを駆り立てて集め、集まったとこへ燃焼促進剤をまくという虐殺の中でも凶悪な手法が採用されました。
先日放送されたクリミナルマインドでも放火が登場しましたがより大胆に大規模に緻密に計画され実行されました。

狩り集めるだけではなく、燃えやすい場所を特定し効果的に順序立てて燃焼促進剤を散布していきました。逃げ場が残らないよう火のまわり方も十分に計算されつくされ、その成果は期待通りで10万人以上の市民を焼き殺すことに成功しました。
同じ人達がナチスドイツのアウシュビッツを非難する光景を目にするととても不思議な気持ちに襲われます。はるかに効率よく民族絶滅をねらったテロリズムをやや時期が遅れて勝利が確定した頃に行っているのですから。


凶行は一回で終わることはなく、長崎・広島ではさらなる凶悪な平気が投入されました。
24(トゥエンティフォー)などでしか登場しない核兵器を実際に市民に対して使用したのでした。

巨大すぎるテロリズムだけで3回も繰り返されたことは歴史から抹殺されたかのようになっています。
そういえばいまだにエノラ・ゲイと呼ばれる原爆を投下した世界最初のテロリズムのモニュメントはアメリカのスミソニアン博物館という、アメリカの栄誉を称えるものを展示する施設で燦然と輝いているそうです。ビンラディン氏の大きな彫像を作り某神社に建立するような行為に見えて仕方ありません。

秋葉原にいると周囲にはまだわずかですが東京大空襲を生き延びたご老人がいらっしゃいます。
そういう方々の話を漏れ聞くと、子供の頃から憧れ続けているUSAってなんなのかとか、イスラムって本当にテロなのかとか、あれこれわからないことでいっぱいになってしまいます。

子供の頃見て一番影響を受けたおはおそらく宇宙大作戦。
アメリカではTOSと今では呼ばれ、スタートレックの名で知られるテレビドラマです。
カーク艦長よりミスター・スポックに共感を覚え多数の要求は少数の要求に優先するという言葉と、その実践の数々にアメリカという国のフェアプレーや物事の判断基準をみたように感じていたものです。

当時のリーダーがおかしい。
ということがあるかもしれません。

昨日のものかな、東京都知事戦に立候補された、神奈川県知事出身者さんのニコ動の映像を朝拝見しました。アメリカは素晴らしい、日系人を踏みにじったことを反省し賠償までしたと褒めていましたが、エノラ・ゲイが輝かしく展示され続けていることは気にならないのかな。

いまでもアメリカがすきで多くのサービスを使い、アメリカ流の食事も生活も憧れている部分があります。考え方も合理的で日本よりも優れているように感じる部分が多々あります。
でもこうした悲しい記念日が来ると、それって正しいのかと思い悩んでしまいます。

秋葉原から錦糸町は歩いてもさほどありません。
途中にはこのテロズムの被害者を祀る公園もあります。
焼けただれた遺物がひっそりおかれていたりもします。
近くを通るたびに、ふと、今の海外に対する自分の評価は本質的に間違っているのではないかと不安になります。

世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識
この言葉はものすごく正しいのですが、受け止め方がもしかしたらご本人の意志も含めて逆なのかもしれません。

もしも読まれた方には申し訳のないことに、自分の中での結論はまだありません。
事実だけは、消えてしまったり確認できなくなる前に片鱗でも残ればいいなと思っています。

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