感情的な批判が多そうでアイディアでも言いにくいのですが、人力の及ばないことというのは嫌というほど存在します。そのなかで発生した放射能が消せないというのも人力が及ばない限界の先です。
大量の放射性物質が拡散し続けている福島第一原子力発電所ですが、出てしまった放射性物質はもう人類の技術では消せません。
できないことをしようとすると、嘘で固めるしかなくなります。
できないので、できない前提をなくしてしまうという、賢すぎるひとの解決策です。
解けない問題は、問題そのものを否定してしまうのが簡単。
放射能は外部に拡散したら消すことはできない。
消せないから、なかった事にするのが次善の策。
基準値を変えて、問題が存在しないことにすればできないことが一見できたことになります。
事故当初の対応は、後手後手でひどいものですが、発表などは信頼性のあるものでした。
徐々に基準そのものを書き換えることで問題をないことにしようとする猪瀬副知事のような発言が大勢を占めつつあるようです。基準値以下なら問題がないのだから対処できない問題そのものが無くなるという、とても賢い視点の転換です。
多くのことはそれで問題を先延ばしにしても、インフレを起こすとか税金を上げるとか、税金を新設するとかでなんとかなってしまいます。以前はなかった消費税というものがいつの間にかあたりまえになり、さらに増税もやむなしというように徐々に変えるようなことを繰り返せばよいだけでしょう。
経済的な問題はそれでものちの時代のひとが工夫すればもしかすると解決してくれるかもしれません。解決できなくてもたかだか経済が破綻し生活が悲惨になるだけですぐに餓死者の山を築くというものではないでしょう。
しかし、放射能は30年とか24000年とか45万年かかってようやく放出される量が半分になるだけ。同じ期間が経つとまた半分。
時間が解決するのですが、解決するまでにあまりにも時間がかかりすぎます。
いまのままではできない問題を解決するために、基準の書き換えという小手先の手段しか残らないでしょう。頭の良すぎる役人や政治家は容易にそういう事ができる。
いまは県名で出荷されているから判別のつく産地もXXX村産と言われてもどこだかよくわからないし、産地をもとにした判別など消費者には実質できなくなって表示そのものが意味をなさなくなる。
徐々に様々な基準を形骸化させて問題をなかった事にしよとする動きが大きくなっているようです。
問題の本質をなくすなら基準を書き換えるというすぐには影響がわからないが、表面化したときには日本人という生命の系統が隔離されるしかないような状態になってしまっているかもしれない。
そんなリスクを犯すより、政権は持たないでしょうが東日本地域の農業を一定期間放棄するという方法も存在し得るということです。一定期間というのは、日本が地理的に存在する間に自然復旧は無理ですが、工業的に水耕栽培などで生産するなど、ビニールハウスを一歩進めた方向なら僅かな期間で可能でしょう。かりにプルトニウムが大量に飛散しても50~100センチのコンクリートで塞げば放射線は遮蔽でき、現実に大量(数千トンだかのウラン)にある放射性物質が保管されていても放射能を隔離できていたのですから、汚染土を一箇所に集め、コンクリートなどで土地を覆い尽くしてしまえば使えるようになるわけですし、一気には工事できなくとも毎年一村とか一町とかずつそうして回復させれば放棄した部分での農業も再開できます。家畜は配合飼料で育てられるものが多いので、畜舎を建築すれば回復できる。
その間、野菜の種や家畜の血筋が絶えないように野菜ならタネや遺伝子の保存おをこない、家畜は卵子や精子の冷凍保存を行いつつ、無人島なども含め使われていない土地に集団移転する。
生産量は激減しますがTPP含め海外との取引を拡大し、海外で日本人に合う食料を増産してもらう。
放射線でも産地でも基準の書き換えを許せば、止めどなくそれは進み、取り返しの付かない結果を生む可能性を後世に残すだけです。
原発が量産されていた頃、ベトナムではアメリカが戦争をしていました。
戦闘のじゃまになるジャングル(植物)だけを排除できる手段として人間始め動物や魚に安全な薬品として枯葉剤が大量にまかれました。日本に使われたようにナパーム弾で焼き尽くすというのとはことなり、とても人道的なはずでした。
結果はベトちゃんドクちゃんに代表される問題を大量に産み出してしまいました。
薬剤が悪いのではなく不純物が予想外の影響を及ぼしたと生産技術の未熟のせいにしたようです。
なんどもツイートしてしまっていますが海洋汚染では、日本は水俣湾で悲惨なことをしでかしてしまいました。そのときも垂れ流した排水は海で薄まり問題はないはずでした。
湾ではないと表面的な反論があると思いますが海には潮流がありそれによって海水は細かく、あるいは大きく区切られてプールのようになっています。
海流(潮流)は、川がそうであるようにそう簡単に間は混ざり合わず、そのまま地球をぐるぐる循環し続けます。初歩の物理学ですが海などの波は振動が伝播するだけで津波のように水そのものが移動するわけではありません。その場で上下に水の分子がそれぞれ大きく揺れ動くばかりであまり水平方向には動きません。洗面器に水をためて水性インクを垂らせば、パッと広がりますが、多くの場合、それだけでは均一にはならず、大きくかき混ぜる必要があります。
水に溶けない油をたらすとまとまって油滴や油膜になります。
大きくかき混ぜると一見混ざるように見えますが、しばらくすると分離して油だまた油滴や油膜に戻ります。簡単に再現できますので試してみてください。
福島第一原子力発電所からでてくるなかで放射性ヨウ素は水溶性なのである程度波や潮流で解け広がり汚染範囲を大きく拡大していきそうです。プルトニウムやウランなどは水には解けませんからそうそう簡単に薄まってはくれません。とても比重が重いので遠くにまで流されずに近海の海底に沈み食物連鎖に取り込まれ徐々に生物濃縮されていく。
基準を書き換えて満足していると、基準値以内だからと調査・対策をしないで終りになり、気づいたときには水俣病のように致命的に誰でもわかるような障害が現れてからになりかねません。
気流などを分析する学者の集まりである学会では、研究の成果を活かして放射能の拡散予測をしようという研究者をいち早く牽制し、研究の放射能拡散予測への利用とその公開を禁じてしまったことがNHKでも報道されています。基準は問題が解決するまで変えない、情報は良いものも悪いものも斟酌せずに公開する。解釈の耐えの知識やテクニックを分かりやすく伝える。
安全なものを海外から仕入れて国民に提供し不安を広めない。
すぐに不可能な農業や漁業保護も同時にこなそうとして、いつのまにか大きく間違った方向へと歩みだしつつある日本ですが、無理なことは無理と明確にしその犠牲を最小に留める対策を別途取るに留めないと、無理やり危険を危険でないと言いつくろうために基準値を引き上げてみたり産地名の表示を細分化して事実上わからなくしようとか、よからぬ方にばかり知恵を使い始めてしまいます。それって何も解決せず、むしろ一時的には売れても完全に信用を失い農業や漁業を出来なくしてしまう結果になりかねません。
人命と安全を重視し、目先の商売に囚われず、 数年後に安心して笑って産業を継続できる道を考えるときです。
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