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http://www.kantei.go.jp/saigai/faq/20110502genpatsu_faq.html
基準を決めていながら基準ではなく目標と言い換えたりと苦しい言い訳にしか見えないのはいただけません。これでは余計混乱に拍車をかけてしまいます。
もしも20ミリシーベルトなんて高い数値は考えていませんというのであれば、虚心坦懐、不安を抱かせたことをきちんと首相が謝罪し適切な数値を設定しなおし、学校など関係先に適した指導をし直すのが混乱を収め不安を払拭できる最良の方策になります。
読み進めるとなんとも同しようもないなという部分がありました
① まず、原子力安全委員会が暫定的な目安(参考レベル)とした、原子力発電所等の事故後の復旧時に一般人に許容される放射線量の上限は、1年間に20 ミリシーベルトです。この短い文章中いくつか致命的に問題となる部分があります。
ひとつは一般人に許容されるという対象
もうひとつは、線量の20ミリシーベルト
問題になっているのは児童であり一般人ではありません。
そして、一般人を対象にしていながら20ミリシーベルト/年間という数値は事故後の福島第一原子力発電所で作業する女性の制限値より緩いという事実。
作業者の制限値は50台の女性が17ミリシーベルト強被爆したとして報道されるなかで明示されていて、事故後の規制値が3ヶ月間で5ミリシーベルトです。
12ヶ月ではなく3ヶ月と1/4も短い期間で定められています。
しかも、数値は一年間一般人が許容されると定めた数値の1/4。
これを越えることはできませんから12ヶ月間で20ミリシーベルト被爆することはありえず最大でも3ヶ月間で5ミリシーベルトまでで、それを超えれば配置転換などで被曝そのものがない職場へと変わります。実際には被ばく線量が把握される前に原発から退避されていますからより一般人より手厚く保護されています。
つまり原発で業務に従事する人のほうが一般人より放射線受領限度が低く定められています。
そしてその一般人=成人と児童の基準値が同じ
数字という明確に示されたものでは、つまり児童は原発の作業者より保護しなくても良いという判断
Q3:そもそも、その大人(一般人)の上限値は、国際基準に合っているのですか?文章中どうしようもないなと情けなくさえなったのは一般人に供される放射線量をという一文
A3:*合っています。ICRP(国際放射線防護委員会)が定める「非常事態収束後の参考レベル」では、一般人に供される放射線量を、年間20~1ミリシーベルトの間で状況に応じて選定することを勧告しています。まだ“収束後”とは言い切れない段階にある今回の場合、暫定的な目安として、まずはA2①のとおりその上限の20 ミリシーベルトから出発し、段々に下げてゆく(=より安全性の厳格な方向にしてゆく)という方針で臨んでいます。
供されるとは神様などに貢物をするようなときに使う言葉で、良いものを差し上げるときに使うことば。
放射能を供してどうするのでしょう?
揚げ足をとっているといった斜に構えた捉え方をする人がいることもわかってはいますが、大切な事なのであえて書いておきます。
人は言葉を選ぶときにどうしても根底にある感情・思想が現れます。
放射能を避けなくてはならない・あってはならない、子どもを守りたりとか人を保護したいと考えているときには放射能を供するといった表現は出てきようがありません。
なにかをくれてやるよという想いがあり、それを文語体にするとき自動的に置き換えているのがそのまま現れているのでしょう。
だんだんに下げていく以前に、原発従事者は事故直後の改訂段階でも一般人より保護され低い数値となっているのは、公平に考えて異常です。
基準値そのもののが高いのか低いのか、安全性も含めてわかりません。
白血病の治療や外科手術できないがんの治療でははるかに高い放射線が照射され、白血病では子どもが多く治療を受けていて、副作用が問題になったことも少なくとも報道はされていませんから、神経質になりすぎることはむしろ放射線の直接の被害より危険かもしれません。
親や周囲が怯えていれば子どもの心にも悪影響を及ぼします。
怯えるくらいならば退避・移転するべきでしょう。
ただ、それと基準自体がおかしい、政府や児童を直接保護する機関の考え方が誤っているというのを指摘するのは別問題です。
異常事態であるからこそ、誰を守るのか、どのような心構えで望まなくてはならないのかは常時チェックし、誤っていれば修正を求めるのは権利であり、大人の義務です。
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